カテゴリー別アーカイブ: 記事

同朋の会推進講座開催 後期教習

8月21日~23日に同朋の会推進講座後期教習が開催され、受講者と育成員(僧侶)合わせて22名が上山いたしました。

受講者は14名。そのうち10名が帰敬式を受け、それぞれの所属寺の住職が選定した法名を授かりました。一生に一度のご縁に感慨もひとしおだったでしょう。

受講者は互いに本願念仏の教えに生きる者として、皆さんで推進員の誓いをなされました。
この機縁に、すべての御同朋と歩みをともにして参りましょう。

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若手僧侶が婚活企画 : 朝日新聞デジタル

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京都組善徳寺(行橋市泉中央)で、婚活パーティー「お寺de縁結び」があった。男女33人が参加し、8組のカップルが誕生した。婚活の催しは4回目で、これまでに2組が結婚した。

情報源:http://www.asahi.com/articles/ASKBJ3VT8KBJTLLS001.html

みやこ子ども会 子ども報恩講

12月23日、みやこ子ども会主催の「こども報恩講2016」、無事に開催することができました!
今回は約40名の子供達が参加してくれました。
講師の先生の法話では「共命鳥(ぐみょうちょう)」についてお話をしてくださいました。「相手を傷付けることは、自分のことも傷付けることになるんだよ。」という言葉がとても印象的でした。
ハラハラドキドキのビッグかるたとりの後、おいしいぜんざいをみんなでいただくと、あっという間に閉会の時間になりました。
たくさんのご参加、どうもありがとうございました!
また来年も、皆さんにお会いできるのをスタッフ一同楽しみにしています☆

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但馬新内局の発足について | 東本願寺

去る12月16日の第63回宗議会(臨時会)及び第62回参議会(臨時会)において宗務総長の指名を受けた但馬弘氏が、本日、門首の認証を受け、正式に宗務総長に就任しました。また、同日付で5名の参務が任命され新内局が発足しましたので、下記のとおりお知らせいたします。

宗務総長  但馬 弘(たじま ひろし)【大聖寺教区 第1組 興宗寺住職/宗議会議員】

参  務  林  治(はやし おさむ)【大阪教区 第19組 玅善寺住職/宗議会議員】

参  務  木越  渉(きごし わたる)【金沢教区 第11組 光專寺住職/宗議会議員】

参  務  望月 慶子(もちづき けいこ)【山陽教区 第6組 浄泉寺衆徒/宗議会議員】

参  務  八島 昭雄(やしま あきお)【北海道教区 第4組 徳生寺住職/宗議会議員】

参  務  藤井 宣行(ふじい のぶゆき)【岡崎教区 第4組 淨圓寺住職/宗議会議員】

情報源: 但馬新内局の発足について | 東本願寺

四日市別院報恩講 京都組団体参拝

本日、宇佐市の四日市別院報恩講に、京都組から団体で参拝してまいりました。
組内各地より6台のバスに分乗。
僧侶・門徒総勢226名で参加いたしました。
本堂修復工事中は、3年間会館仮本堂で勤められてきた報恩講。
今春の竣工後すぐ、教区を挙げて御遠忌法要を営み、その後初めての報恩講でありました。
日程の最後に京都組混声合唱団のコーラスも。
厳粛なお勤めと、讃歌のひびきに包まれた一日でありました。

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如来は限りない大悲をもって 迷えるものを哀れみたもう | 浄土真宗ドットインフォ

悲しみは誰でももっている 如来は限りない大悲をもって 迷える者を哀れみたもう (『大経』) (出典:如来、無蓋の大悲をもって三界を矜哀したまう 「真宗聖典」8頁) 大切な愛娘を突然亡くしたMさんは、私に言いました。「この苦しみ、悲しみはあなたにはわからない。同じ経験をした者でないとわからない」と。その時から私は、その話題を避(さ)けるようになり、今まで通い合っていた心の道が途絶えたような淋しさを味わいました。 新美南吉(にいみなんきち)の書いた童話に『でんでんむしのかなしみ』(大日本図書)というのがあります。一匹のでんでん虫が、ある日、自分の殻(から)の中にいっぱいの悲しみがつまっているのに気づいて、このままでは生きてゆけないと、お友達のでんでん虫を訪ねてまわるのです。 「私はもう生きていられません。(中略)私は何という不幸せな者でしょう。私の背中の殻の中には悲しみがいっぱいつまっているのです」(中略)すると、お友達のでんでん虫は言いました。「あなたばかりではありません。私の背中にも悲しみはいっぱいです」(中略)どの友達も同じことを言うのでありました。とうとうはじめのでんでん虫は気がつきました。「悲しみは、誰でももっているのだ。私ばかりではないのだ。私は私の悲しみをこらえていかなきゃならない」そして、このでんでん虫はもうなげくのをやめたのであります。 それはこんな短いお話です。 私たちはこの世の苦しみや悲しみにあうと、それを心の奥深くにしまい込み、ピシャリと蓋(ふた)をすることで忘れようと耐えながら日常生活を守ろうとします。そのたびに心の殻は厚くなり、現実からの問いかけや呼びかけにいきいきと応えて生きるいのちを枯渇(こかつ)させてはいないだろうか。波うっていた悲しみはいつかあきらめや後悔となり、人生の空しさとなって影を落とさないだろうか。

情報源: 如来は限りない大悲をもって 迷えるものを哀れみたもう | 浄土真宗ドットインフォ